沈まず、遠ざかる太陽

太陽は沈むのか?遠ざかってゆくのか?

 

球体理論で言うと、
【太陽は地平線に沈んでゆく】。

下の画像の様に・・・。

フラットアース上の太陽も見え方は、
この太陽と同じで沈んでゆく様に見えている・・・。

地球が平面であろうが、球体であろうが、どんな形をしていようが、
この世界で見えている様々な現象は、球体派も平面派もみんな同じに見えている。

「沈む夕日」と言うのは、小さい頃から聴いてきた言葉なので、皆さんは実際にも太陽が海に沈んでゆくものと信じて疑わないでしょう。この現象は日常生活や義務教育課程で嫌と言う程耳にしてきたので、今更、説明するまでもないと思いますが、要は地球のカーブの向こう側に見た目の太陽が移動するので見えなくなると言う理由です。

では、遠ざかると沈むように見えると言うのは、どうゆう事でしょうか?

上記のイメージ図をご覧いただければ、なんとなくはイメージ出来ると思いますが、それでも、実感として湧き上がって来ないと思うので、この動画を見て欲しい。

どうだろうか?日没に近付くに連れ、太陽が地平線に向かって下がりつつ小さくなっているのがご覧いただけただろうか?

上の動画は大気の影響が少ない時に撮影されたものなので、大きさがハッキリと分かったが、日本の様な海に囲まれた島国では大気中の水分量が多いので、大きさそのものの変化が小さい上に、太陽が拡散されて大きく見えてしまうので、見かけ上は大きさがほとんど変わっていない様に見えてしまうのである。

そこで、もう1本動画を見て頂きたい。
この動画はTwitterでも活躍されている蘭氏(@ranchan_t)の撮影したものである。撮影場所はおそらく静岡の海岸沿いであろう。こちらは沈むではなく、登る太陽の方だ。日の出の太陽も徐々に近づきつつ、そして、大きくなっていく。こちらの太陽の視直径変化は、普段我々が見ている太陽と近い状態だと思う。この動画のように線を引かないと大きさの変化には気付けないのは、大気の影響に依るものと、視直径は変わらないと言う思い込みに依るものであろう。

 

 

解釈の違いで意見は分かれる

地球が平面だと唱えるフラットアーサー/FlatEartherと、地球は球体で太陽の周りを公転していると当たり前の様に考えている現代の世間一般人/BallEartherでは、決定的に違う物がある。
それは【解釈/かいしゃく】が違うと言う事である。
(解釈の意味→ コトバンク

それぞれ沈む太陽と遠ざかる太陽に対する解釈の違いを図に表すとこんな感じになります。

だって、そりゃあーそうでしょ!?
同じ地球に住んでいるんだもの!

でも、この辺が、フラットアーサーを嫌う球体論者には理解出来ない部分なんだろうね。
なんかこういった話をすると、
「地球が丸いのにそんな風に見える筈がない!」とか「地球が平面なら昼と夜の区別がない筈だ!」とか、目くじら立てながら絡んでくる反フラットアーサーとか居るからなーー。

地球の形が違うと、見え方も違って見えなければいけない!とか言ってきて、そもそもの大前提としての話を分かってもらえない人が多いんだよねー。

 

他人の解釈を否定しても実体は変わらない

まあ、解釈の例えとして、もう一個、別の話をすると、目の前に柑橘系の果物があったとします。その柑橘系の果物の品種は何なのか?と言う問いに対して、どう答えるのでしょうか。
ある人は「八朔だ」別の人は「文旦だ」また別の人は「これは夏みかんです」更に違う人は「いやいや、これはグレープフルーツに違いない」と、思うがままに答えるわけです。

答えは4通りでましたが、実際の果物は「ひとつ」なので、正解もひとつになる筈です。
その柑橘系の果物を見て、それぞれの観測者が、それぞれの意見をぶつけ合っている様子が、「沈む太陽」と「遠ざかる太陽」の議論と同じなのです。

この果物の場合、眺めているだけでは分からなかったので、匂いを嗅いだり、切ったり、食べたりもするのですが、結局はそれぞれの意見を主張するだけでは、いつまで経っても結論が出ないのです。
私は、こういった状態に陥ってしまう事を、フラットアースを語る上では決して忘れてはいけないと思っています。

では、実際問題、太陽の話しの場合は、どうなのでしょうか!?

 

遠ざかると沈む様に見えるシステム

ここまで来ても、中々のところ、遠くなると小さくなる?遠くなっても、あまり大きさが変わらずに水平線に沈んでゆくと言う説明を読んでもピンと来ないとお思いますので、これも動画を1本見てもらった方が早いと思います。
百聞は一見にしかず、です。

なんとなく解ってもらえましたか??

我々は義務教育で「太陽視直径は変わらない」と刷り込まれているので、こうやって線でも引いてもらわないと同じだと思ってしまうものです。

私の意見には納得できないかも知れませんが、次に行ってみましょう。

 

 

太陽視直径のウソ

日本の義務教育は、小学6年+中学3年=9年間である。
大抵の人は、そこに高校3年を加えた12年間も教科書と向き合っている。人が一番多感と言われる12年間の長きに渡り、同じ様な教育過程、同じ様な教育を受けてきた教師達による授業により、我々日本人は画一的な考えや感情を持つ様に教えられてきた。

人の考えは千差万別なのが自然なのに、そこからはみ出すことを良しとしないのが、日本の義務教育の弊害でもある。確かに、日本人の倫理観は諸外国と比べても、とても素晴らしいと感じるが、それは、戦後義務教育以前からの日本人の精神に宿っていた魂の連鎖とも言えるのではないだろうか。決して、敗戦後の日本に植え付けられた占領下の教育から生まれたものではないだろう。

しかしながら、日本人の心を砕いていくような米国から押し付けられた戦後教育は、確実に日本人の知性を蝕んで来た。これは敗戦国だけに仕向けられた方法ではない。あらゆる方法で、世界中の人々を自分の頭では考えられない様な人間に仕立て上げようとしているのだ。その一環が義務教育であり、更に悪名高い【SEX=性、SCREEN=映画・映像、SPORTS=プロスポーツ・オリンピック】を使った3S政策である。

(参考サイト「アメリカGHQの日本占領政策「3S政策」とは何か?」

この様な洗脳政策は、何も近代史に始まった事ではなく、国家という概念が生まれ、そこに統治者と呼ばれる一族が君臨し始めた時から既に実行されていたのだ。詳細を述べると永遠と長くなってしまうので省略するが、天動説から地動説への誘導も、庶民を盲目の羊の様にさせて置くために必要な手段であった。

これを読む方々が「神」の存在を信じるか信じないかは別として、人間は最初から人間として誕生した生き物という前提と、魚の様な生物が突然変異を繰り返した結果誕生した生き物である、という場合、自分自身の存在意義を考えた時に、そのどちらがより自分の事を特別な存在だと感じさせてくれるとお思いだろうか?
自分が神の様な存在に見守られていると言う安心感や、その事から、自分ひとりで居る時の倫理的行動などに与える影響力は、かなり違った物になっているのではないだろうか?

さて、話を本題に戻そう。

太陽の視直径が、ほとんど変わらないと言うのは、義務教育のウソであり、地動説へ誤誘導する為の詭弁である。
我々から自信を奪い去り、偶然の産物だと思い込ませたい統治者の戦略なのである。

しかし、我々は気付いたのである。
球体論が優勢となってきた時には持ち合わせていなかった撮影機材とパソコンによる編集方法により、

太陽は、地球の曲率で見えなくなるのではなく、遠ざかって小さくなり見えなくなると言う事を!!

 

信じるか信じないかはあなた次第

おそらく、ここまで読み進んでくれた読者の方も、この記事だけでは腑に落ちない部分が多分にあるだろう。
私も、最初はそうであった。
フラットアースなど信じられなかったのだ。

それでもいい。
人は、自分が信じたいものしか、信じられないのだ。

だから、あなた自信も、自分の信じたいものを、自分の感覚を研ぎ澄まして見つけるべきだと思う。

 

さて、最後に、太陽が遠ざかるにつれ、小さくなってゆく様を収めた動画を見ていただき、この記事を閉じたいと思います。
この動画の元ネタは不明ですが、画面に線などを引くまでもなく、ハッキリとその大きさの変化が見て取れると思います。

 

それでは、別の記事でお会いしましょう。

 

 

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